
1月にJ2新潟と再契約して、今季も現役でプレーする、元浦和FW田中達也選手について書きます。田中達也は山口県周南市の出身で、高校時代に越境入学で東京の帝京高校でプレーします。1年生からレギュラーだったのでエリートかと思っていましたが、CMによれば「100人中80番目の選手」から這い上がったと聞きます。
高校を卒業して浦和には2001年に加入してきました。当時の田中達也はスーパーサブで、この年まで浦和でプレーしていた小野伸二と最も感覚が合っていた選手として印象的です。パスを出しやすいような体の向きをする、スペースを見つけて走れる準備をするなど、地味ながら効いていた動きで、小野伸二がパスを喜んで配球している様子に見えました。
田中達也は小野伸二がオランダに旅立つ直前の広島戦で2得点を決めて、小野伸二を勝利で送り出す最高のはなむけをしました。翌2002年はエメルソン、トゥット、永井雄一郎に次ぐ4番手のFWでしたが、エメルソンと2トップを組んだ2003年が田中達也にとってブレイクの年になりました。それ以前はドリブルにこだわりのあった田中達也ですが、エメルソンと組んだときにその良さをうまく盗んだようで、枠が見えたら打つなどはエメルソンから得たノウハウだと話しています。
この年は浦和史上初のタイトルとなったナビスコ杯の優勝に大きく貢献する活躍で、田中達也の将来は有望だと誰もが思ったことでしょう。しかし、2005年に駒場スタジアムで行われた柏戦で相手DFのタックルを受けて足首を脱臼骨折する重傷を負い、1年後に復帰は果たしたもののその後の田中達也は負傷との戦いになります。
また、田中達也は1トップに不向きという特徴もあります。どうしても、スピード型で横にいるもう一人のFWと連携して点を取るタイプの選手なので、キープやパスを要求される1トップは苦手でした。そのため、基本戦術が3-6-1のミシャが浦和の監督になると、大きく出場機会を減らし戦力外となって新潟に移籍することになります。
それから、8年も経った今、まだ新潟で現役なのは素晴らしいです。新潟では出場機会を得るためにMFもこなしたと聞きます。プロ意識の高い選手なのでサポーターの信頼も厚く、新潟が再契約したときは「今季最大の補強」とまでサポーターに言われたほどです。残る選手生活は長くはないでしょうが、納得するまでできたと思えるところまでプレーできれば嬉しいです。