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歴史の証人(2013年日本対オーストラリア)


過去に、日本代表のホームゲームのアジア予選は可能な限り足を運んでいる私ですが、W杯出場が目の前で決まった経験は2013年の日本対オーストラリア(以下豪州)戦だけです。当時は2試合を残して、勝ち点を一つでも取ればW杯出場決定と、比較的楽な条件でした。

当時の豪州は、ご存知浦和のACL優勝監督、ホルガー・オジェックが率いていました。私の日本代表戦の見方はあまのじゃくで、まず相手チームの出方から見て、それをどうやって日本が攻略するかを見るスタイルです。当時、豪州はケーヒルケネディあたりのパワー系FWが中心で、ロングボールを放り込むサッカーというイメージで語られていました。

しかし、実際の豪州はスピードを生かしたカウンターサッカーでした。サイドチェンジのロングパスから、サイドのMFのクルーズ、オアーが走るスタイルでした。当時、世代交代が課題だった豪州でしたが、クルーズ24歳、オアー21歳と、オジェックが若手を抜擢していました。

豪州のバイタルエリアブレシアーノ、ミリガンのダブルボランチがしっかり固めていました。日本が得意とする、本田圭佑香川真司バイタルエリアからシュートを打つ動きはできていませんでした。ポゼッションこそ日本優位の試合でしたが、なかなか豪州の堅陣が崩れない、ジリジリした試合でした。

当時、日本は豪州戦に備えて、豊田スタジアムブルガリアを呼んで親善試合をこなしていました。その試合は0-2の完敗で、チーム状態が悪いのは、当時所属していたCSKAモスクワロシアカップの決勝戦に出場したためブルガリア戦を欠場していた本田圭佑は理解していました。

本田圭佑が動き回ってボールを引き出そうとした動きはありましたが、試合は81分に動きます。豪州の左MFオアーが個人技でDF3人をまとめて抜き、クロスかと思われたボールがそのまま入って豪州がリードを奪います。

しかし、日本も直後に相手左SBマッカイのハンドでPKを得て、本田圭佑が度胸のある真ん中のコースに蹴り込んで日本は追い付き、引き分けでW杯出場を決めました。翌日、会社を休んで自宅でテレビをつけると、ほとんどこのニュースばかりで、「自分はすごい試合を見たんだ」という実感が湧いてきました。渋谷のスクランブル交差点が通行規制をしたなどの騒動は、後で知りました。自分はその現場にいたのに、正直な印象は普通の試合だった思い出です。