先日、横綱白鵬が貴乃花の持っていた史上6位の幕内勝利数702勝を塗り替えました。白鵬はいろんな記録を打ち立てているので、北の湖や千代の富士、貴乃花といった私の青春時代の関取衆の名前が出てくるのは懐かしいです。その中では取り口が印象的だった貴乃花を取り上げます。
貴乃花は明大中野中学を卒業して、兄の若乃花と一緒に当時の藤島部屋に入門しています。当時の兄弟子、安芸乃島によれば入門の時点で三段目中位の力はあったそうで、新弟子時代から将来を嘱望された力士でした。北の湖からも「私の最年少横綱記録は間違いなく破られるでしょう」と言われていました。
出世は順調で、17歳で新十両、18歳で新入幕と昇り竜の勢いでした。今でも取り口を思い出せるのは、平成3年夏場所の初日に18歳で対戦した千代の富士との一番です。右を浅く差して千代の富士の左上手を許さず、低い体勢を保って寄り切って千代の富士を破り、千代の富士はその後引退を表明し鮮やかな世代交代になりました。
貴乃花は、大関以下で通算8回優勝という、前代未聞の珍記録も作っています。当時、横綱昇進には何が何でも二場所連続優勝しなければ上げないと、横審がかたくなになっており、不可解な昇進見送りなどもあって最年少横綱は残念ながら達成できませんでした。
貴乃花で思い出すのは、相撲巧者という事実です。当時の貴乃花に四つになったら絶対に勝てないと言われていたほどで、金星を配給するときは突き押し相撲の相手でした。右四つでも左四つでも取れた柔軟性も武器で、貴乃花相手に四つになったら、大抵相手は上手まわしを切られてしまい、腰を落として寄り切る必勝パターンに持ち込まれてしまいました。そういう相撲も、相手に怪我をさせたくないという配慮だったと思います。
そんな貴乃花が、唯一荒々しさを見せたのが、最後の優勝になった2001年夏場所の武蔵丸との優勝決定戦でした。当時、半月板を損傷していた貴乃花の出場は絶望的と言われていましたが、師匠の休場勧告を振り切って出場します。本割では武蔵丸に一方的に敗れますが、決定戦で奇跡的な上手投げで武蔵丸を破り優勝します。
このときの貴乃花の鬼の形相は今でも鮮明に記憶に残っており、相撲は五穀豊穣を祈願する神事でもありますが、その「神」が宿った瞬間として忘れられません。今はダイエットして体重も100kgを切り、言われなければ貴乃花とわからないくらいですが、一時代を作った同世代の大横綱という記憶は私の中で鮮やかです。