Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズについて、いろいろ書いた記事です。

国立競技場の思い出2

国立競技場の思い出といえば、最大のものは1997年フランスW杯予選です。あの当時、その4年前にカタールで集中開催したドーハの悲劇でもおなじみのように、W杯最終予選の開催方式は一箇所の集中開催を想定して日本代表は動いていました。

私も、最終予選がマレーシアで行われるなら2試合ほど行こうかと思っていましたが、直前でマレーシア開催を主張する東アジアと、バーレーン開催を主張する西アジアの間で調整がつかず、急遽大会方式はホームアンドアウェイに変更になりました。

この事実をスポーツ紙の見出しで知ったとき、私は小躍りしました。理由は海外に行かなければ見られないはずだった最終予選のホームゲームが国立競技場にやってくることを意味したからです。当時は、まだ日本には国立競技場、神戸ユニバー記念競技場広島ビッグアーチくらいしか巨大なスタジアムはなかった時代なので、全試合国立開催は間違いないと予想できました。

まず、乗り越えなければいけない関門はチケットでした。当時、チケットの販売方式は電話予約しかなく、何回もチケットぴあに電話することが激しいストレスの原因になることは覚悟していました。しかし、発売方式は店頭販売もありました。これなら、浦和のチケットぴあに徹夜で並べば取れる可能性はあると思い、発売前日の午後6時半から並んだ私は一番乗りでチケットを取れました。しかも、このチケットは自由席の4試合共通券なので一回並べばOKでした。

しかし、次の関門もありました。それは自由席の場所取りでした。この最終予選は日本中が注目した大イベントだったので、国立競技場の周辺は多くの人でごったがえす、見たことのない光景でした。知人のサポーターズクラブの組織力で、ほぼ先頭に近い位置に並べるという、驚異的な助けを得ることができました。

そこまで準備して見た、最終予選の4試合は激しいドラマの連続でした。初戦のウズベキスタンとのホーム戦は、今まで見たことがなかった緊張感の中で始まった試合でした。その試合はカズが絶好調で、何と4ゴールを決める活躍でウズベキスタンを6-3で下しました。しかし、前半を4-0で折り返した日本が、後半3点を返されたのは問題で、その失点が今後の苦戦を暗示するものだったように、今振り返れば思います。