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中津江村遅刻事件(カメルーン代表)

またオフネタですが、2002年W杯を子供の頃に見た世代がプロ入りする時代なので、もう昔話としてカメルーン代表の中津江村遅刻事件をネタにします。中津江村は今は合併して日田市になっていますが、大分県の山奥深い地です。

この村をカメルーン代表がキャンプ地に選んだ理由は、1990年のイタリアW杯のときに山奥深い地をキャンプ地に選んだら、集中してトレーニングができてベスト8まで勝ち上がれたので、縁起を担いだからです。当時、中津江村は小さな村のロマンとしてマスコミに取り上げられました。

しかし、アフリカの国はW杯に出てくるような強豪国でも、サッカー協会がいい加減という課題があります。元日本代表監督のトルシエはアフリカのいろんな国で代表監督をやっていますが、本来はサッカー協会の仕事である航空券の手配や練習場の確保まで監督自らがやらなければいけなかったと聞きます。

1990年のカメルーンのベスト8は、当時アフリカは弱小地域とみなされ、W杯の出場枠が二つ(現在は5)しかなかった時代だけに快挙と報じられ、サッカー評論家も21世紀はアフリカの時代が来ると言っていた人もいます。

しかし、その後ワールドサッカーをある程度知るようになると、アフリカのサッカー協会のマネージメント能力の不足はいろんなところで露見していて、これがなんとかならない限りアフリカのチームのW杯優勝はあり得ないと感じました。

この中津江村遅刻事件はアフリカのサッカー協会のいい加減さを説明する必要がなくなった一件で、経由地のパリを発った選手の乗った飛行機が、南回りで少しでも着陸料の安い国を回った結果、予定の到着日を大きく超えてしまった不可解なマネージメントミスでした。

もっとも、中津江村の名前はこの遅刻事件で逆に有名になったのは面白いところで、当時の坂本村長は一躍有名人になりました。カメルーンは日韓W杯本番は1勝2敗でグループリーグで敗退しますが、その後親善試合で大分県に来るなど交流もできました。

今はアフリカの国も欧州でプレーする選手が多くなったので、組織的なサッカーにも慣れてきたでしょうが、アフリカのチームが戦術や規律がなかった昔の話です。