2002年日韓W杯は、私にとっては夢の実現の場になる予定でした。郵便局に置かれていたチケットの申し込み用紙がなくなって、ヤフーオークションで申し込み用紙に1000円の値段がつくほどの異常事態で、おそらくどんなにつまらなそうなカードでも完売する事態になるだろうと予想できました。
韓国との共同開催なので全試合の半分しか日本でやらないのですから当然といえば当然ですが、私はどんなことをしてでもどこかの試合を見ておかなければ一生後悔すると早い段階で動いていました。そのため、私が目を付けたのは韓国開催の試合でした。
英語ながらチケットの一般販売はあり、予選通過に予想したチームをどこまでも追うチームチケットと、開催地を決めてそこで行われる試合をすべて見るベニューチケットがあり、抱き合わせ販売だと文句を言いながらも、確実に試合を見られるベニューチケットを申し込み、済州島のチケットが当選して、これで夢の一つはかなったと喜んでいました。
日本国内のチケットも会社の知人に名前を借りたり、サポーター優先販売で半券に懸命に住所と名前を書いて当選を狙いました。その結果、埼玉スタジアムのイングランド対スウェーデンを当て、夢だったサッカー漬けの日々が楽しめると喜んでいました。
しかし、そこで私を襲ったのは病魔でした。今でこそある程度の病気なら自分でコントロールすることもできますが、当時は一度病気になってしまったらどういうコントロールをすべきか分からない頃です。海外へ一人で行く韓国の目は完全に消えました。
この韓国でのカードがブラジル対中国、ドイツ対パラグアイと後で知ったときの悔しさは忘れられません。特にドイツ対パラグアイはオリバー・カーン対チラベルトのGK対決で見応えがあっただけに、あれを生で見ていたかもしれないと思うと悔しくて仕方ありませんでした。
それでも、韓国の代わりと思って申し込んだ3次販売のサウジアラビア対アイルランドが当たって少しは悔しさも紛らわせました。それでも、済州島に滞在してリゾート気分を味わうか、空いている日に韓国本土に渡って試合を見るかと思っていた夢が目前で消えた悔しさは10年経った今でも消えません。それでも、W杯は逃げないから、いつかロシアかカタールに行ってあのときの借りを返そうという夢は持っていたいと思います。