カテゴリーは迷いましたが、三菱は浦和の前身ということで「浦和レッズ」にします。今は高橋峻希が初観戦が埼スタこけら落としの浦和対横浜FM戦(2001年)と語るなど、若いサポは物心ついたときから浦和レッズや埼スタがあり、あるのは当たり前という時代になってきています。
こういうときは、我々ベテランサポは昔話をすべきと思い、浦和レッズができる前の話をしたいと思います。私にとって浦和レッズができたのは21歳のときですから、それ以前はサッカーファンではありませんでしたが、それなりに記憶はあります。浦和レッズの前身が日本リーグの三菱重工というのは皆さんご存知と思います。
このチームは日本リーグでは古豪と言われたチームで、当時の日立(現柏)、古河電工(現千葉)と丸の内御三家と言われた当時の企業チームの中では一流と言われていたチームでした。東京五輪、メキシコ五輪を率いた当時の日本代表コーチのクラマー氏が、日本サッカーを強くするにはリーグ戦が必要ということで1960年代に日本リーグができたのが強化の始まりです。
しかし、野球が国民的スポーツだった当時の日本に、サッカーはなかなか根付きませんでした。私の少年時代を振り返ると、月曜を除くゴールデンタイムは巨人戦がどっかり腰を据えていて、今では考えられませんが日テレが独占放映権を持っていた巨人のホーム戦以外のアウェイ戦を民放他局が取り合ったという歴史があります。
私は少しあまのじゃくで、テレビ埼玉がホーム戦を全試合中継していた西武戦を見ていましたが、西武戦がデーゲームの土日はどうしても巨人戦を見ることになりました。そのため、当時は王監督が連日緊急ミーティングを開いていたとか、鹿取が毎日のように投げていたというようなプロ野球の話題に結構ついていけました。
脱線が長くなりましたが、Jリーグ以前の三菱は特に決まったホームスタジアムは持っておらず、駒場で試合をすることもあったらしいですが、練習場は調布の三菱グラウンドで行っていました。そのため、三菱が日本リーグ2部に降格していた1990年は調布の三菱グラウンドでホームゲームを行っていました。
福田の初ゴールは、この日本リーグ2部の開幕戦、わずか20人の観客のスタジアムで生まれています。そのため、福田の日本リーグ初ゴールを見たという現役サポがいれば、8割方嘘です。Jリーグ初ゴールならいるかもしれませんが、おそらく選手の身内以外は見ていなかったこの試合を見ていたら奇跡のようなものです。
福田は中大を卒業した際に、ドイツ留学を打診されて三菱入りしているのですが、三菱の2部降格でそれどころではなくなり、なんとしてもチームを1部に上げてくれと懇願されたという歴史もあります。そんな三菱は、Jリーグ入りの際に、本拠地にすべき地を持っていなかったという過去があります。
そんなときに、浦和市がJリーグという未知のプロスポーツに賭けたいという意思を見せ、ホームスタジアムの駒場陸上競技場の改修を約束して三菱を呼び、浦和レッドダイヤモンズができます。今の駒場は、その改修ではまだ収容力が足りず、再度改修を行って2万人規模にした結果のスタジアムです。埼スタはまだ出てきていませんが、これはW杯の埼玉誘致の結果で別物なので、機会があれば別に書きます。