昨日は、アメリカの同時多発テロから9年の「追悼の日」でした。跡地のグラウンド・ゼロには新しい高層ビルが計画されているらしく、あの日の傷跡は少しずつ消えようとしています。しかし、この同時多発テロの日は、私にとっても忘れられない日でした。
あの当時、私はある重い病気で苦しんでいました。会社を休職して、本当に治るのか疑問を隠せぬまま、家に残って一人発作に苦しんでいた頃です。ちょうど、この同時多発テロの日が、病気が最悪の状態になった日でした。
まさか飛行機がぶつかってビルが崩れ落ちるとはという、ライブ映像への衝撃とともに、それによる精神的ショックもあったのか、夜ベッドに横たわってもすぐに目が覚めてしまいます。苦しいときに飲んでいい薬も、早々と使い果たし、この頃は休職しているから朝まで寝付けなくても仕方ないと覚悟を決めていましたが、午前3時ごろにようやく寝ることができたようです。
本当に苦しい思い出でした。今でも同時多発テロのことを聞くと、当時の苦しさを思い出します。あれから9年経ちました。病気も完全とはいきませんが、少しずつ治ってきています。同時多発テロでご家族を亡くされた方の悲しみに比べたら大したことではありませんが、自分にとっても忘れられない日になりました。
あの当時は、2002年W杯の前の年でした。その時点で、チケットが当選して埼玉スタジアムのスタンドに座れることは確定していました。W杯に行きたい、何とか世界の戦いをこの目で見たいという思いだけは常に持っていました。そんな思いが、自分を助けてくれたと思っています。
レッズも見てはいました。あの頃はちょうど味の素スタジアム(当時東京スタジアム)でのFC東京戦だったと記憶しています。試合はアマラオの2ゴールで負けたのですが、鈴木啓太のJリーグ初ゴールが見られたので、2-3の負けでしたが、それなりに楽しめたです。あの当時、電車で席が空くと、当時60歳近かった両親が、私の病気を考えて席を譲ってくれたことが今でも記憶にあります。ああ、申し訳なかったなと、今振り返っても思います。