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秀吉型のカリスマ(仰木彬)

今はプロ野球クライマックスシリーズという大舞台を戦っているので、思わず野球のことを思い出します。残念ながら、第一ステージで敗れたオリックスですが、その基礎を作った、今は亡き仰木監督の思い出です。

仰木さんは、現役時代は西鉄ライオンズ黄金時代の二塁手でした。ただ、守備はうまかったものの、打つ方が2割ちょっとの低打率だったので、「自衛隊の仰木」というありがたくない呼び名をもらってしまいました。

そんな仰木さんが、初めて脚光を浴びるのは、13年間コーチを務めた近鉄で、岡本監督の後任として監督の地位に座ったときです。前年最下位の近鉄を任された仰木さんへの期待はそれほど大きくありませんでしたが、当時森監督が率いる西武が黄金時代を築く中、決してAクラスを外さなかったのは評価したいです。

この全盛期の森西武を、唯一破ったのが仰木さんの近鉄で、1989年に敵地西武球場でのダブルヘッダーに連勝して、逆転優勝を果たしています。ただ、近鉄は300勝投手だったOBの鈴木啓示氏をいつか監督に据えたいと思っていました。好成績にもかかわらず、近鉄を追われた仰木さんは、オリックスに移ります。

ここからが、仰木さんの本領発揮でした。まず、成長株だった鈴木一朗外野手に、鈴木では目立たないと思って「イチロー」の登録名をつけます。目立つことが大好きだった仰木さんは、自らパリーグ広報部長を名乗り、話題性のありそうなネタにはすぐに飛び付きました。

また、イチローを発掘したことで黄金時代を作ったオリックスは、阪神大震災で壊滅的な被害を受けた神戸に勇気を与える、感動的な日本一もありました。仰木さんと言えば、選手の起用が流動的な監督で、好調だったらいつでも使ってもらえると、控え選手にとってはモチベーションが上がる監督でした。

また、過去に指導を受けた選手たちが、仰木さんの指導に感謝して、挨拶に訪れることは、仰木さんのカリスマぶりを示しています。誰も悪く言わなかった名将の仰木さんは、オリックス近鉄が合併した初年度に、この混乱を鎮められるのは自分しかいないと、病気を抱えながら監督を引き受けます。

しかし、その無理がたたったのか、仰木さんはそのオフに帰らぬ人となりました。ただ、あの森西武にあれだけの戦いをして、オリックスの基礎を作った仰木さんの功績は大きいです。地味な選手時代が話題にならなくなるほど、監督として成功した人でした。